第二の接吻
菊池寛原作の「第二の接吻」全97話
当時「第二の接吻」は、大正14年(1925年)7月から97回にわたり東京朝日新聞に新聞小説として連載されました。当時、結婚することと同じほど意味 を持った「接吻」をめぐり、2人の美しい女性と男性が恐ろしくそして悲しい運命に翻弄されていく純愛を描き、大きな話題になりました。
Rust Colored Painting by Kuramoto 藏本秀彦の錆び絵 「1万3000年の感傷旅行」
今回の藏本秀彦展で最も重要なことは、ストーリー性豊かな美しい描写、見事な構図ではなく、すべての作品がミクロン単位で微妙に調整された数種類の「鉄粉」によって描かれたことだ。鉄は錆びる、すぐ錆びる。作家の意図を超えてどんどん変色する。しかし朽ち果てることを最初から覚悟したその潔さに感動するのは少し早い。藏本はもっと壮大なことを目論んでいるのかもしれない。
美術作家の多くは自らの作品が自らの意識の外に出ることを嫌う。思い通りの構図、思い通りの質感、思い通りの色彩で、作品が末永く残ることを願う。しかし此の世はそんなに甘くない。油であれ、グワッシュであれ、アクリルであれ、なんであれ、数千年の時間を超えて思いを伝えるのは困難だ。おおむね作家は不変なる画材に執心する。ところが藏本は最も酸化し易い、変化し易い「鉄」の粉を選んだ。
果たして藏本は自らの思念とその痕跡が永遠であることを拒否しているのか、それとも諦めか。今展のサブテーマとして藏本は<時と空気について>を掲げていることから見ると、藏本は<時間と空気>の浸蝕に身を任せて、なお芸術的パルスを発信し続けるために、「錆び」を選んだに違いない。「鉄錆」、つまり酸化鉄は人類最古の顔料とされ、1万3000年以上前、スペイン北部サンテンデルのアルタミラ洞窟で人類最古の壁画を描いた原始人もこれを絵の具とした。
此の世には錆びるもの、錆びないものがある。寂びるもの、寂びないもの。荒びるもの、荒びないもの。最も錆び易いものが最も朽ちにくい、という皮肉な現実を藏本は軽々と受け止め、さらに無限に押し寄せる時間粒子の流れにちょっかいを出してみた。その冷静さとやんちゃな冒険心を左手に隠しもったまま、今も情感あふれる連作絵画を生み出し続けている。素敵じゃないか。
(明石安哲・四国新聞社編集局次長)