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変容について


100号サイズの木製パネルに綿布を張り、描く。描かれた内容に関係なくパネルの側面は絵の具の垂れた跡が残る。側面を見ると制作のプロセスが手に取るように分かる。意識的に側面を見せようとは思っていなかったが、額縁をつけない私の作品は思いの外、側面も主張していた。絵画と取り巻く環境をつなぐような気がした。絵画の表面(意識的に描いた部分)と側面(無意識に痕跡が残った部分)の境界を取り払おうとパネルの角を丸く面取りし、側面まで絵が浸食していった。その丸みは段々ときつくなり、表面と側面の境界はなく全て画面となった。そこから作品が丸い石のような形になるのに時間はかからなかった。
画材は鉄粉と酸を使用する。鉄粉は時間と空気を内包しながら酸化し、赤茶色に錆びていく。砂絵の技法で描かれているので、鉄粉をふりかけた時、他の部分も黒く汚れを作る。作家は自分の作品が未来永劫変わらず、退色せずに保存されることを願う。しかし不安定な状態の鉄粉はそんなことを問題にしていない。むしろ変化する。やがては剥がれ落ちるかもしれない脆さを作品にこめる。
明るいところから暗いところに入ったとき、瞼には光の残像が焼き付いている。美しい抽象画のようだが、やがては消えていく。見ようと努力するが消えてしまう。この像を消えてしまわぬように鉄板に描き定着する。しかし鉄板に酸で描くためこの像もやがて消えていくかもしれない。
木を焼くと黒く焦げる。それをワイヤーブラシで磨くと流木のように角が取れ丸くなる。焦げ茶色についた色彩や形態は作為で作られたものではなく、行為の痕跡として佇む。私たちは、視覚的に飛び込んでくる情報で物質の重さや質感をはかる。次にその木の表面に鉛筆の黒鉛を塗り込んでいく。黒光りし光を乱反射させる。また、表面にボンドを塗り鉄粉をふりかけて酸化させる。鉄の質感へと変容する。鉄を混ぜ込んだ絵の具を塗るとはじめは灰色であるが、徐々に明るいオレンジに変わっていく。様々な行為を見せたり隠したりする様を提示する。
アトリエの床に15年間敷いていた鉄板は絵の具が飛び散り、部分によっては腐食が進んでいる。錆びも出てもう交換した方がよいのかなと壁に立てかけてみる。絵だった。目をこらすと色んな形を発見する。作為のない潔さは、時には美しさをともなう。これは捨て置けず、その上から描画し発見したイメージをより明確に掘り出してみる。
変わりゆくもの、錆びゆくものの儚さは、生きている私たちと同じである。この変容は人によって捉え方が違うかもしれない。崩壊?成長?変身?痕跡?希望?未来?

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