top of page

 あれから1年が過ぎた。この1年間というものは、たとえ被災地から遠くに離れていても、その甚大な被害のことに思いを馳せない日は一日たりともなかったのではないか。被害の大きさは重大な問題として重く受け止めるべきであり、これから将来にむけて復興への道を着実に歩んでいくと確信するものである。一方で、この一年を振り返れば、少しずつ記憶から遠ざかっていることも事実ではないだろうか。藏本秀彦は、震災直後から“何も出来ないことへの苛立ち”を隠せないでいる作家のひとりである。いったい何が出来るのだろうか。今の混沌とした“心の揺らぎ”を作品化することで“記憶”として留めようと思い立つ。人としての、作家としての使命感というよりも、日常的にもっと身近な記録のポシェットのようなものに収める視覚的イメージとして、今の、時が経つにつれて消え行く思いを綴るためである。
 制作には、今まであまり用いなかった油彩絵具を選んだ。油彩絵具は厚く重い表現になりがちな素材だが、全く予想に反して色彩は淡くそして極めて瑞々しい。空気や水、植物のような気配だけがゆらゆらと蠢いている。藏本は、自然のなかに起こる現象、光や水、植物が複合的に関係を保ちながら営まれる根源的な生命のメカニズムに震災に揺らぐ思いを重ね合わせたのではないか。網膜上に記憶の滲みとなって浮遊するものが確かに感じられる。瑞々しさをたたえた生命のかたちが、茫漠としてふつふつと湧き出るようだ。決して留まることなくそして確実に呼吸をし、成長するといった過程がイメージとして読み取れるだろう。自然は自らの治癒力で再生する。自然はどんな事態をも、たとえ膨大な時間が必要であろうとも柔軟に受け入れ、自らに与えられた速度でゆっくりと着実に前に向かう。自然の治癒力とは対照的に智の不甲斐なさをあらためて思い知らされた今の私たちに対して静かにそして穏やかに警鐘を打ち鳴らす。
                                  
(香川県立ミュージアム 主任専門学芸員 田口慶太)

bottom of page